ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

3/19 気仙沼を発つ

今日もTMATグループとして市民病院ミーティングに参加。さらに参加者は増えており、この地域の医療状況はすこしずつ改善方向にあるようだ。しかし、地域のかかりつけ医の半数が避難しており、その方は薬品もなく連絡がつきにくい。まずはこのグループをオーガナイズし、物品を供給、各避難所でのプライマリーケアの最前線となっていただく方向で。たしかに、地元をしる地元のDrがみるほどよいことはない。


今朝はこの病院の機能を残すために重症患者20名を東北大学病院まで搬送するとのこと、萩原先生は忙しい。コマンダーが今日から東京に帰ることとなり、次期コマンダーは日医の横田先生となった

今日は最終日。おそらく、この場に戻ってくることは当分ないのだろう。夜勤明けだが最後にお世話になった皆さんにお礼を言う。

チームメンバーや保健師さんはもちろん、ある意味寝食を共にした被災者の方々を去るのは後ろ髪を引かれる思いだ。でもここにずっととどまる訳にはいかないから。しかし、僕は日常に戻るが、彼らは何ヶ月も何年もこの災害の爪痕と戦わなければいけない。僕はすこしずつこのような小さな援助のバトンをリレーできたらいいなと思う。


非常に仲良くなったM君。この中学校を卒業して、4月から消防士となる彼は配膳担当でいつも明るくてきぱきと働いていた。かれは素晴らしい消防士になるはずだ。
人生って出会いと別れだな、とつならないことを思った。
彼は僕らの乗る救急車にいつまでも手を振っていた。
忘れられないなあ。