ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

こんな__では駄目だ

僕が好きなブログの一つに、
岩田健太郎先生の「楽園はこちら側」があります。
米国帰りだからとかXXだからとか、そういうことに縛られない
考えることのできる、知恵のある先生ですよね。



今回は「あんな慶応じゃ、駄目だ」
こたえるものがありました。

僕もあの学校に10年いましたので、その感覚は何となくわかります。
(井の中の蛙でした)
でも、言いたいことはそんなことではありません。





これを自分の環境に合わせるとどうなのでしょうか。
さまざまな階層で。



「こんなMGHじゃ、駄目だ」ということはないだろうか。
世の中でちやほやされるほど、僕らはすごくはない。
ハーバードもMGHも少なくとも救急はまだまだ発展途上だ。


1)臨床力
他人の臨床能力を評価するのは難しい。
しかし、少なくとも自分の救急医としての臨床能力は決して高くない(5年めということを加味しても)。僕はこの病院でしか機能できないのではないだろうか。
僕はアメリカの市中病院の救急に一人で放り出されたら、ちょっと自信がない。
日本の救急外来で働けるかも疑問です。


理由はいくつかあります。
一つは豊富なコンサルタント資源に甘えていること。コンサルタントとともに質の高い救急医療を提供することは、社会の要請でもある。チームとして有効に効率的に機能していれば患者さんには良い。
しかし過剰なコンサルテーション、検査は救急医のトレーニングにはつながらず、医療経済と混雑する救急外来をさらに圧迫する。コンサル閾値が低くなりすぎると、過剰な依存や思考停止につながりますよね。

例えば、

  • Colles'骨折の整復→整形コンサル
  • 指尖損傷の断端形成→手の外科コンサル
  • 明らかに外科適応のない顔面骨骨折→形成外科コンサル
  • 眼の救急なんでも→となりの眼科耳鼻科病院にコンサルト
  • 胸部X線放射線科に読影

これらは救急医の守備範囲であるはずです。
しかし、このような病院でレジデンシーをしてしまった自分は相当部分、コンサルタントに依存しています。


同様に、トレーニングの問題がある。MGHの救急部スタッフは僕のような内部進学者がほとんどであるため、うちのレジデンシーの弱点がそのまま臨床上の弱点になりうる。特に

  • 外傷(安全な街ですからね)
  • 小児(ボストン小児で4年で3ヶ月のトレーニング。その時以外では小児を見ることは少ない。それで小児救急をいっちょまえにできるようになるほど、小児救急は甘くないですよね)

ではないでしょうか。僕はレジデンシー教育には臨床の場でしか関わることはないですが、大きな課題です。


そして研究。
アカデミックな病院であるからには、研究をしっかりすることは大きな役割。
しかしながら、研究面でうちの救急部は全米トップクラスであるとは言えない。
臨床のレベルを上げることが難しいように、研究のそれも一朝一夕にできるものではない。ビジョンが必須であり、時間と理解が必要だ。僕はひよっこなので大きなことは言えないが、ボスとすこしづつ作り上げていきたいと思う。




さらには、「こんな米国の救急医療じゃ、駄目だ」ということはないだろうか。
これはいつかしっかり書いてみたいと思います。
5年間、こちらの救急に足を染めているといろいろな物が見えて来ます。米国の医療制度に疑問を感じ(感じなかったらおかしいと思う)、そこで果たす救急医療の役割に疑問を抱くことが多いです。大きな視点でみて、僕らは患者さんの役に立っているのだろうかと。


確かに米国の機能不全の医療システムを背景として救急医療は発展した。
社会の要請として。
例を挙げれば「河で溺れている人を助ける"safety net"」として、救急医療は努力している。


しかしいくら河で溺れている患者を助けて岸にあげても、
時間が経てば、また「上流から医療システムの機能不全(社会システムもだが)によって河に突き落とされて」、僕らの下流に流れてくる、そして僕ら"safety net"が助け出す。この繰り返しで患者さんは本当に救われるのだろうか。
そして僕らのsafety netは非常に高コストだ。
なんのことだかわからないですね。


こんな疑問に答えたくなり、
僕の研究の分野も少しずつ変わってきました。