ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

セーフティネット再考

クイズです。この国はどこでしょうか。
(今週のJAMAより)


他の先進国と比較して

  • 生後、1歳の誕生日を迎えることのできる赤ちゃんの割合が少ないです。
  • 5歳の誕生日を迎えることのできる小児も少ない。
  • 思春期にはいると、どの国よりも10歳代の妊娠および性感染症が多く
  • 薬物中毒患者も勿論多く
  • 殺人の被害と交通事故は最多です。
  • 肥満の割合、20歳代の糖尿病有病率も最多です。
  • そして、世界で最も医療費を使っています(GDPの5分の1に迫る勢いです)。

答えは



勿論、米国ですよね。
その背景はあまりにも多層で根深いものです。


IOMによると

  1. 皆保険の欠如、医療費の高騰
  2. プライマリーケアの不足
  3. 医療アクセスの障壁の高さ
  4. そしてケアの連携の悪さ

がまず挙げられています。納得です。

つまりコストが高く、アクセスが悪い上に、アウトカムまで悪い。
いいところが全くありません。ホント。


一方、健康において医療が果たす割合はたったの1割と言われていますね。
遺伝が4割、社会的因子が4割。
そこで、社会的要因はどうなっているのでしょうか。

  • 米国の小児の貧困率も先進国中でトップ。
  • 社会格差の指標であるジニ係数も高く、
  • さらに子供が親の経済レベルを超えることができない国ナンバーワン。

もはやアメリカンドリームという言葉はこの国が一番似合わないのです。


こんななかで僕ら医療者ができることは一体なんでしょうか。
救急医ができることは何でしょうか。


僕は喘息の研究者ですので、その例を挙げましょう。
喘息は全人口の5-10%が罹患するといわれるコモンな慢性疾患。
一方で喘息発作による救急受診、これは慢性期の治療をしっかりしていれば理論的には防げると考えられています。つまり救急受診自体がadverse eventを意味します。


米国のデータです。
救急外来を受診する喘息患者のうち何と3/4がfrequent flier(一年間に複数受診する患者)。
つまり、救急の常連さん。喘息で言えば治療失敗群の高リスク患者。
さらに救急受診はプライマリーケア受診の5倍のコストがかかる高費用患者。
患者、医者、保険者の三者三方損。
医療(救急医療を含め)の敗北としか言いようがありません。


こんな患者さん(および疲弊する医療システム)をどうやって助ければいいのでしょうか。
僕ら救急医に何ができるでしょうか。


救急で急性発作をおさめることはある程度可能です。
evidenceに基づいた治療(退院後指導を含めて)によって
短期的に、患者さんの症状を緩和、QOLを改善、
学校を休むこともなく、会社にも行けます。


ここで北米型救急から学ぶところがあります。
軽症から重症まで、このような患者もしっかり診ることができることが1つの意義ですからね。
米国の「セーフティネット」(安全網)ですから。
河で溺れている人を助ける網のイメージです。


しかしながら米国において(日本もおそらくそうであるように)、
救急医療の質に大きなバラツキがあります。

救急外来における喘息ガイドラインへの遵守度が低いことがわかってきています。
また遵守度の低さと入院率の高さは関連しています(因果は不明)。
これらの質を改善することは我々救急医の仕事でしょう。


しかしそれだけでいいのでしょうか。
純粋な「北米型」救急の視点は帰宅後1週間(3日間とすることも多い)までです。
僕ら救急医=安全網が河で溺れる患者を引き上げてから
上流に戻した患者はどうなるのでしょうか。


米国では既に述べたように、
救急外来後にプライマリーケアにつなげない。
喘息専門科との連携が悪い。
元来、喘息のfrequent flierは社会経済レベルが低いこともわかっている。
収入が低ければかかりつけ医をもっている可能性は低く、
慢性期の治療を購入できなかったり、持っていてもコンプラインスが悪い。
英語の読み書きができないことも多く、それでは慢性期の治療は上手くいかない。
さらには住環境も悪かったりして、喘息がよくなるわけがない。


もちろん救急医として
目の前の救急患者をしっかりと診ること、
エビデンスを作ること、それを臨床現場に落とし込むこと、
若い世代を教育すること
(ところで、米国型教育が優れているという批判的吟味はしましたか?僕が目にするのは、利益相反ありの症例報告ばかりです)
どれも大事なことです。


しかしこんな患者さんは、また下流に流れてきます。
そして僕ら救急医が網にひっかけて「助ける」。そして上流に返す。
だから喘息患者のfrequent flierが生じるわけです。
これは米国の救急外来における日常風景です。


このような社会要請によって「発展」した米国の救急医療。
(他にも興味深い救急の需要を増す要因があります。これはまた今度)
もちろん、質の高い安全網はあらゆる国に必要です。
しかし、本当の意味で北米型救急によって患者は救われているのでしょうか。
他に救急医としてできることはないのでしょうか。
それが北米型の救急の限界であって、救急医はその領分だけきちっと守ればいいのでしょうか(米国はここで割り切ります。よくも悪くも)。


そして、社会資源と医療の成り立ちが異なる日本において
必要とされる救急医療の答えは米国のコピーなのでしょうか。


日本が直面する未曾有の少子高齢化社会、縮小する経済、広がる経済格差、ソーシャルキャピタルの減退
変化する患者意識、疲弊する医療現場(救急の現場)。
このコンテクストで、あなたの日本の救急医療のビジョンはどういったものでしょうか。
米国型救急、が答えなのでしょうか。
もしそうならば、何故ですか。


こんなことに心を奪われています。