ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

グローバルな、世界標準な医療を行うには?

これも学生さんから受けた質問です。



「どうやったらグローバルに活躍できる、世界標準の医療のできる医師になれますか?」


この問いに僕は頭を抱えてしまいました。
僕より賢い人にこういう質問をしてもらいたいのがホンネです。



答えがよくわからない場合は、まずはその問いの仮定を考えるのが先決です。
グローバルに活躍、というは全く意味が掴めません。すみません。


それでは後者の「世界標準」の医療って何でしょうか。
そもそも、そんなもの存在するのでしょうか。
(おそらく多くの人がアメリカ標準=世界標準、で使っているのと想像しますが)



医療というのは、臨床をちょっとでもやればわかりますが、土着産業です(とくに救急は)。
その地域人口における疾患頻度、社会におけるソーシャルキャピタル
特定の医療行為に費やすことのできるヒト・モノ・カネ、
保険制度、病院の体制、その地域の医療体制、患者背景、文化

そういうものを全て斟酌して行うのが、医療じゃないでしょうか。
これらをひっくるめた「世界標準」なんて存在するのでしょうか。


例えば、米国に非常に有病率の高い冠動脈疾患。
日本と米国では冠動脈疾患の有病率は大きく違います。
救急外来に訪れる低リスク胸痛患者に対するワークアップ、日米で同じでいいのでしょうか。


急性冠症候群を除外するために、
日本人のような有病率の低い群に米国と同じ閾値で特異度の低い検査を行うことは、
偽陽性の増加を招く可能性があります。
あくまでそれを行うならば、さらなる検査、無用だったかもしれない費用、そして検査によって起こりうる合併症まで考慮されたうえなのでしょうか。


また、貧しい発展途上国において、米国と同じ有病率であると仮定した場合、
米国と同じようなワークアップを「標準」とすべきなのでしょうか。
そもそもそんなことが医療資源の乏しい国で可能なのでしょうか。


医療にそもそも「世界的な標準」が存在するのでしょうか。


逆説的ですが、各々の地域(市町村レベル〜国家レベルでの地域)背景を斟酌した
地域医療という概念こそ「世界標準」という可能性はありませんか。









補足:僕の文章の拙さのために勘違いされる方もいらっしゃるかもしれませんので。。。
サイエンス(エビデンス)を無視して好き勝手やれ、と申しているのではありません。
さらには、Evidenced-based Medicine (EBM)とは、画一的なガイドラインを作り、
それを遵守することでしたっけ。
違いますよね。
医学の蓄積であるエビデンスを、背景を吟味しながら自分の地域・患者に適応して医療を行う営為でしたよね。