ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

清と濁をみる

ボストンに帰ってきてから忙しかった。今までのツケを払うように毎日救急で働く。
加えて交換留学で毎年来る医科歯科の学生さんのすこしお世話をしたりも。


災害支援に行ったことについては、オメデタイ米国人はたいそう褒めてくれる。
自分の友人や家族は情があるだけにもちろんだ。


インタビューの話も来る。個人的な経験をシェアし、人に考えてもらう機会を与えるのはもちろん被災地のために大事だ。
しかし、僕らの被災地援助はとってもささやかなものだ。そこまでオメデタくない。
そして寂しく思うことが最近多い。
人道援助とどうしても表裏一体になる政治的な思惑にまきこまれ。
大したことをしていないのに、コネ作りに奔走し、自己宣伝し。
まあ、他人に認められたいという気持ちは、人間の奥深い欲求だからしょうがない。無邪気なもんです。


本当の主役は、ホントに歯を食いしばって前向いてる被災者なのに。
僕らはそこに足を踏み入れてちょっとお手伝いしているだけなのに。
被災者をくいものにしてはいけない。


そんな人間の欲求も、人道援助の原動力に利用できることはいうまでもない。
「おとな」ならそんな「濁」の部分も飲み込まなければいけないのもわかる。
きっと被災地で「清」を見てしまい、ここで過剰反応しているのでしょう。


でも僕の網膜には、少なくともまだ、階上中学校避難所の風景が焼き付いています。
そこで生活する人が眼に浮かびます。
僕はこれを忘れたくないな。
これが僕の曲げたくないスジのようです。(奥さんには怒られるでしょう)