ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

3/14 日本到着、仙台へ

5時頃到着。
どうやら徳洲会のひとはどの便だったか知らなかったみたい。
やはりこのような混沌状態では情報は錯綜する。


徳洲会新聞とシアトルから来ている取材班に取材を受けるが、まだ何もしていない身だから何も言えず。不確かなことをしゃべるのは嫌いなのだ。世の中は、とくに災害の現場は不確実性に満ちている。そんなときに経験していないことをマスコミに話すのは危険だ。最低でも自分の経験したことと、speculateしていることははっきり区別して伝えなければいけない。


成田では電車が全て計画停電でストップ。バスは混雑。
T会によって準備された救急車に乗る。大きなグループに属したからこそ、させてもらうこと。個人単位の参加、または参加しても自分を活かしてもらえない組織参加では、ボランティアは問題の一部となってしまう可能性がある(食料、水、疾病、場所、避難などのリソースを奪ってしまう)

東京の街は月曜日にしては静か。
そして救急車両のみ通過できる東北道へ。がらがらだ。
明らかに緊張感がある。こんな日本ははじめてだ。
途中のサービスエリアでは迷彩服を着た自衛隊。こんな光景は日本では見ることはできない。カレーを食べる。あと子どもたちのためのお菓子も買っておいた。

午後10時頃
仙台徳洲会着。ここには25台の救急車。TMATは総勢全40-50名ほどがいるのか。
湘南鎌倉ERのM先生がER当直をしていた。知り合いの先生に会うのは嬉しいこと。水道なし。ここが東北地方におけるTMATのハブ。
40人ほどが待機(床で毛布をしいて雑魚寝)。
インターネットがあってほっとする。メールは120通。処理に時間がかかる。(ここが最後のインターネットアクセスだった。楽観的すぎたみたい)
StephがJICAやJRDと連絡とりたいとのこと。国連で働く旧友にメールしておいた。


徳之島より来ているT先生がコマンダー。ハイチやインドネシア津波など国内外の様々な災害現場で働いた経験もあり、このような現場でも平常心で働いている素晴らしいリーダーだった。我々も海岸方向に向かうことをブリーフィングされる。詳細は早朝に出発する先遣隊の情報によって決まるという。

情報が錯綜し、その現状も刻々と変わる災害現場。フットワークの軽い視察、それをコミュニケートする組織と衛星電話などの機器、とても大事なことだ。災害医療でおそらく最も大事なことは、もちろん準備であり、そしてコミニケーションだ。


僕は緊張し、この夜は一睡もできず。