ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

卒業後の進路

卒業一年前にあたる7月1日には決まっていたのですが、大学院があったり、お世話になった人にいろいろと話していたりと、ばたばたしていました。


4,5,6月とかなり真剣に悩みました。
結論は、EMNetという救急の多施設研究ネットワークの臨床研究フェローをやりながら、臨床は現在の施設に残り救急指導医でということになりました(細かい契約は未定?)。まずは奥さんが研究を継続でき、僕もゴールとマッチしたメンターに恵まれそうです。


とっても悩みました。やりたいことが山のようにあります。
もちろん指導医になっても、臨床力を磨くのがまずは基本。
そして、教育と研究。僕はシミュレーション教育が好きなので、ちょっと前まではこのフェローを考え、そして三度の飯より好きな研究もやろうと思っていた。研究手法はMPHをとれば何とかなるだろうくらいに。だから教育をフェローでしっかり学ぼうかなとも。


でも研究はやればやるほど、大学院で学ぶほど、そんなに甘くないことがわかってきました(当然ですよね。気付くの遅すぎ)。教育だって同様です。どちらも一流の仕事をやるなんて、スーパーマンでないかぎりできない。凡人の僕にはどっちか一個だって随分怪しい。日本の救急教育界にはすでにとんでもなく素晴らしい人が多いうえに、シミュレーション教育にはS先生がいて、きっとリードしてくれる。


そこでSAEM@ボストンがよいきっかけとなって、かなり悩みました。
結局は、一番好きなこと(ご飯と寝るのより)、つまり研究を突き詰めてみようと。日本にいる素晴らしい仲間に僕は恵まれています(本当に幸運です)。ここに人生賭けてみよう。仲間とJEMRAのゴールに書いたことを実現してみたい。そこにフォーカスしよう。


ということで、リサーチフェロー探しを始めました。研究持っててMPHもあれば、そんなの必要ないという人もいます(僕はそうは思いませんが)。恩師のBrownやWallsなどは、「君のゴールのためには、その経験を持つ、しかもよくorganizedされたリサーチフェローシップに行くのがいい。しかもそれは救急に絞らない方が、いいものがあるかも」とのことでした。確かに僕のやりたいことをやっている人は、救急領域では数人しかいなそうです。多くの人がRobert Wood Johnson Fellowshipが目的に適っていると言うのですが、これは永住権がない僕には門戸が閉ざされています。


それに場所の問題がありました。奥さんの仕事場が第一ですから、今の研究を続けるべくボストンに残ることが第一希望。他に行くなら奥さんのjobのありそうな、アカデミックな大都市(奥さんは田舎だと発狂してしまう)。というと、もう他候補はニューヨーク、シカゴ、ロス、サンフランシスコくらいに絞られてしまいます。そこで救急の研究、特に僕らのやろうとする多施設ネットワークの運営と発展という大それた野望の、経験があり、かつ指導してくれそうなところは数カ所になります。


ということで、UCLAのNEXUSグループに話を聞いたり、という就職活動(もどき)もしていました。PECARNのKuppermanはサバティカルで、アルゼンチンに行ってしまい、大学にいない。彼のいないUC Davisはアカデミックにはちょっと弱い。Stielのオタワは残念ながら奥さんがムリ。


幸運なことに、実は自施設にEMNetという多施設研究ネットワークの本拠地があります。僕のゴールをまさに果たして来た組織であり、研究の興味もぴったりとあう。素晴らしいロールモデルです。ボスは元々は救急医ですが、僕がボストンに来てからは臨床から離れ、ひたすら臨床研究に集中。ということで今までは接点がなかったのですが、恩師が顔をつないでくれました。


あれこれ悩んだ進路選び。
緊張して迎えたEMNetのボスとの面接、というかおしゃべりは30分であっさりと終了。履歴書もcover letterも必要なし。レジデンシー応募の時の悪夢がウソのようでした。


僕のレジデンシーから、このフェローに行った卒業生はまだいません。ということで、その可能性は未知数。しかし、活かすも殺すも自分次第。頑張ります。


進路選択にあたり、多くの方にお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。