ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

アメリカンバイアス

完璧ではない論文の査読システム。

 

査読付きの雑誌に投稿すると、「その領域のエキスパート」ということになっている(?)査読者のレビューが帰ってきます。まず少なくとも半分の査読者の質は低く(研究自体がわかっていない、論文をちゃんと読んでいない←後者は論文に問題のあることも多い)、査読者を逆に(やんわりと)教育してあげることが重要です。

 

査読者の質の低さにイライラすることは日常茶飯事ですが、今までで査読コメントに憤る、という体験は今回が初めて。日本で仲間とやっている多施設研究、後輩が初めてfirst authorとして投稿した論文に査読コメントが帰ってきました。論文自体は切り口はオリジナルで臨床に応用でき、なかなか面白い内容。

 

コメントの一部だけ抜粋します。

Review Summary:  Even those being addressed, the data presented would be difficult to generalize to US academic centers.  The authors express this in their limitations section however I believe it is a bigger limitation than stated.  It therefore may be reportable but have limited US applicability.


注:投稿したジャーナルは米国系の雑誌ではありません。BMJ系の"international journal"を謳っているジャーナルです。

この査読者、なんという了見の狭さでしょうか。自分がプラクティスしている米国のアカデミックセンターがイコール世界であり、それに該当しない論文はたとえ英国系の国際ジャーナルであっても出版する意味はない、と示唆しているわけです。

 

残念ながら、米国にはけっこういます、こんな医師(もちろん国際的な視野を持った人もいます。数は少ないけどね)。

 

 

それ以上に残念なのは、このような米国人の謝った世界観を無批判に受け入れてしまう日本人がいること。例えば、

 

  1. 医療を「国際化」するためにアメリカの医学部を誘致して、学生にはアメリカの国家試験を受けてもらう(残念ながら僕の出身地から。。。)。
  2. アメリカの「medical school」制度を始めれば、医学教育はよくなる。
  3. 医療の「国際化」を目指すために、アメリカの基準を導入する。

頻繁に聞きますよね。

これらのnotionが間違っているとは言いません(実は正しいのかもしれない)。ただ僕にはそのロジックが全く理解できないのです(アメリカ=世界であり、それを導入すれば自動的に「国際的」になり質が高くなるという思考回路以外は)。残念です。