ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

留学に関する学生さんへの回答

学生さんからの質問でルーチーンのものにお答えします。



1)USMLEってどうやってパスするのですか?
もう随分昔の話なので参考になるお話は出来ないかと思います。
ただ1つ確かなのは、

所詮は、英語の国家試験です。しかもマルチプルチョイス。
ということは、必要なものは受験テクニックと記憶力です。以上。
僕は経験がありませんが、センター試験のようなものなのでしょう。


こんなものに必要以上の時間とエネルギーを費やすのはもったいないですよ。


世界は答えのない問いに満ちています。
さらには、問いを自ら立てる必要があります。
問いを立てること、答えのない問いに回答する能力は最も大事です。
すでに他の人が立てた問いに答えがある場合、それを十分に答えられることに
創造的な価値はあるのでしょうか。


しかし、これらができる人に、僕はそんなに多く会ったことがありません(米国に留学している人の中でも)。若い人にはそんな「知恵」のある人間に育ってほしいな。
未来を切り開くために。


残念ながらUSMLEはそんなこと一顧だにしませんし、
そんな知恵を育ててくれる訳でもありません。





2)英語の壁はどうやって超えるのですか
これは僕に答える資格はないと思います(スピーキングは文法メチャメチャです)。
ただし、日本語能力と人間の中身がなければ英語をいくら鍛えても駄目でしょう。
英語ペラペラの米国人(当たり前か)でも、中身がなければ誰も耳を貸しません。

僕はどっちも不足しています。




3)どうやってハーバードに入れるのですか。
まずこの問いは、高校生の発する「どうやったら**大学に入れるのですか」とあまり差のない質問だと思いますが。。。
僕の経験で答えてみます。


それは「縁」だと思います(ハーバードもへったくれも関係なく)。
ここに僕が来たのは、
別に僕が優秀だと勘違いされ面接に呼ばれた訳でもなく、
採用された訳では絶対にない。(←これだけは自信がある)
たまたま僕がボストンが気に入って、あっちが僕を何故か気に入ったに過ぎません。
それだけです。


面接に呼ぶ際の、書類とかUSMLEの点数で、その人間の将来性がわかる訳がありません(研究で証明されています)。
さらには、一回10分足らずの面接で人間の20年後が見えるはずがない。
(それが見えていたら、うちの卒業生で救急の世界を制覇できているはず。注:勿論できていない)
面接官も普通の景気がいいアメリカ人のおっさん、おばさんです。
自分と気の合う人が欲しいんです。基本はそれだけです。
それはその日たまたま面接官だった人によるわけです。
だから「縁」なんです。


アウトカムであるレジデント達をみればわかります。
うちのプログラム。1学年あたり15人も救急レジデントがいますが、
やはり「僕の家族を診てもらいたくないな」というのが毎年1~2人はどうしても出ます。
逆に、「これは将来性があるな」というのは3-4年に1人くらいです(滅多にいません)。


あとの圧倒的多数は、ごく普通のナイスな人間です(不真面目だった僕もここに位置:希望的観測)。
そしてレジデンシーを終え、ごく普通の救急医になって卒業しています。
いいんですよ。それが米国の救急レジデンシーの目的ですから。
普通の医者をちゃんと育てる、こそが米国レジデンシーのシステムであり、売りですから。





まとめです。

USMLEに合格して、英語能力を伸ばし、米国に臨床留学してグローバルな医者になろう」
という大人が近寄ってきたら注意して下さい。
そんなことを謳う病院があったら、その知性の劣化を疑って下さい。
少なくとも僕には、この言説の意味するところがあまりわかりません。



そんなことよりも、
自ら問いを立てることの出来る人を見つけて下さい。
そんな師匠を持ちましょう。
人間としての中身を育ててください。



そもそも、米国に臨床留学するというのは数ある選択肢の1つにすぎません。
そこで得られるものはなんでしょうか。3つの側面について考えてみましょう。

臨床領域:日本では習得の難しい外科手技、症例の少ない専門領域を学ぶには最適だと思います。一方で症例に困らない内科や救急領域ではどれほどの意味があるか、僕にはわかりません。前述したように米国のレジデンシーシステムの長所は「普通」の人間を普通の医師に育てることです(スーパー医師を育てることが目的ではないのです)。やる気のある人(+学ぶ環境を探すことのできる人)であれば日本でも米国でも必ず優秀な医師になれます(←間違いないです)。僕より遥かに優秀な日本育ち医師をいくらでも挙げることができます。
ということで、あなたが普通の人間であり、日本に学ぶチャンスが存在しない(もしくは探すのが面倒くさい)なら意味があるかもしれません。


教育領域:そもそも米国の臨床教育が優れているかという疑問は別にして、レジデンシーで教育を「受ける」ということが、教育者に「なれる」ことと混同すべきではありません。教育と「受ける」ことと「与える」は大きな違いです。臨床研修を受けた後、米国の真似は何となく出来ても、それを超えることは難しいでしょう(それでいいなら話は別です)。素晴らしい教育者を見て下さい。生徒を感化する熱意と人間力を持ち、教育システムを作り上げる。これは米国式臨床研修を「受ける」ことで身に付くものではありません。教育はそんなに甘いものではない。とくに教育システムを作り上げるにはそれなりのトレーニングと経験をしっかり積む必要があるのではないでしょうか。



研究領域:これは臨床留学では無理です。そもそもレジデンシーは普通の臨床医を育てることが目的です。これこそが米国レジデンシーのウリなんです。一方で、一人前の研究者になるというは長く厳しい道です(一人前の臨床医になることと同じように、10年以上はみっちりトレーニングを受ける必要があるでしょう)。どのレベルの「研究」をゴールに設定するかによりますが、質の高い研究は片手間に数年やって出来るものではありません。10年単位で週に60~80時間を研究に捧げる(文字通りですよ)ハードワーカーがしのぎを削る、弱肉強食の世界です。一流の外科医になるのと同じようなものです。僕のボスを見ている限り、50歳になっても土日出勤、私生活は存在しません。毎日深夜まで働いています。それでも成功できるかわからないんです。僕もコレを甘く見ていました(ホントに甘かった)。



いろいろと書きましたが、
別に留学することに "NO" と言いたいのではありません。そこのところはご理解ください。
外国で生活することは貴重な体験です。しかしそれが必ずしも米国の臨床留学である必要はないということです。


米国に限らず、英国、中国、豪州でもどこでもいいんです。
そして研究留学、教育留学、大学院、ワーキングホリデー、放浪の旅、
どれでも得るものは大きいと思いますよ。




最後にもう一回。
自分で問いを立てて下さい。そして自分の頭で考えましょう。
もちろん、僕の言葉も疑って下さい。