ハーバードER記

Ars longa, vita brevis.

不必要な救急受診?

今週のJAMAからの論文。
Comparison of Presenting Complaint vs Discharge Diagnosis for Identifying “ Nonemergency” Emergency Department Visits

あくまで僕の私見ですが、
これはJAMAに載せていいのだろうか、という疑問符がつきます。
下手したら、方法論にうるさいAnnals of Emergency Medicineだってrejectするかもしれない。


それはさておき、
米国において右肩上がりの救急外来受診。
そして停まることのない医療費の増大(いまや国民総生産のほぼ5分の1)。
その文脈において、
低所得者医療保険(メディケイド)利用者による「無駄」な救急外来受診(約6%-10%)を減らしたい、という州が多くなっている。


そこでいくつかの州で始まりを迎えているのが
救急外来での退院診断名によって、「緊急でない」救急外来受診を特定
そのような受診には支払いを拒否(もしくは減らす)
という法制度。あまりに短絡的な。。。
救急医療の現場をちょっとでも知っていれば、
それが「机上の空論」ということがすぐにでも分かります。
後だしじゃんけん、ってやつですよね。
退院時診断がはじめから分かれば、患者はわざわざ救急に来ない(選択肢があれば:後述)。
こんな医療政策によって、「無駄な」救急受診を減らすことができるのでしょうか。


そこで、この研究。そんな医療政策にまったをかけたかったのでしょう。
救急外来退院における診断とその受診時主訴との関連を調査したもの。
退院時診断から「緊急ではない」と判断された患者の主訴、
この9割近くが、全ての救急受診の主訴と重複した。
つまり、患者の主訴から「緊急」「緊急ではない」と判断することはできないだろう。。。

詳しくは本文を呼んで、ご自分で判断ください。



ーーーーーここからは僕の私見ーーーーーーーー

確かにリサーチクエスチョンは時機を得ており、
その結果が医療政策へ与えるだろうインパクトは大きいと予測される。
結果が臨床の実感ともピタリと一致することも両手を挙げて賛成する。


しかし、研究方法がいただけない。
妥当な研究方法には思えない(妥当である可能性はありますが、それを証明できていない)。
結果を受け入れるためには、筆者によってなされた様々な仮定を無批判に飲み下さないといけない。


検証された研究方法がないから仕方がない、ということも理解できる。
その血の滲む苦労は並大抵のことでないことも知っている。
そんな数年にわたる苦労を、ピスタチオを食いながらアレコレ批判する僕が不謹慎なのも自覚する(ごめんなさい)。


しかし、主観的な判断基準を使うなら、誰が(何人が)その基準をもって判断し、その観察者間一致はどれほどだったのか、JAMAレベルなら要求すべきだろう(Annalsでも要求する)。その他にも不満いっぱい。(それに論文自体がとても読みにくいし)


編集者による
「とにかく結果が気に入ったので、出版して現行の政策にストップをかけたい」
という思いが先走ってしまったのではないだろうか。
そんな気がしてならない。



医療政策の研究においては、100%のエビデンスではなくて80%で時機を得ることが大事、
という意見も理解できる。
しかしJAMAのような雑誌が、80%以下であろう研究方法を看過することは
長期的に医療政策研究に悪いメッセージを与えるのではないか、と心配になります。



ただしJim AdamsによるEditorialはよく書けています。
"Trying to discern low-acuity conditions and putting up barriers to receiving care or denying payment after receiving care will work no better in future generations than in the past. Attention should be redirected away from penalizing patients, physicians, or hospitals when a condition turns out to be minor. Instead, the emphasis should be on integration across sites of care especially for the most complex and most expensive patients...."